みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

へブル人への手紙

来たるべき都

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。(ヘブル13:14-15) 『ヘブ…

訓練として耐え忍びなさい

訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。(ヘブル12:7) 兄弟姉妹たちは、このとき何らかの苦難に遭遇していた。 それは激しい迫害だったかもしれないことが、3・4節から推察される。…

ご自分を求める者には報いてくださる方

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6) 11章は、「信仰の章」としてよく知られる。 「信仰者列伝」とも…

私たちは聖なるもの

このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(ヘブル10:10) 10章でも引き続き、キリストの救いの完全性が説かれる。 律法には来たるべき良きものの影はあっても、その…

ご自分をいけにえとして

しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。(ヘブル9:26) 前章で、モーセの律法によるものは本物の模型であったことにふれたが、9章にははっきりとそう書いてある。 キリストは…

よりすぐれた契約の仲介者

しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。(ヘブル8:6) ここに、「よりすぐれた契約」「はるかにすぐれた奉仕」「より…

まさに必要な方

このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。(ヘブル7:26) ヘブル書の著者は、5章で次にように書いていた。 このメルキゼデクについて、私たちには話すことがたく…

力強い励ましを受けるため

それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはありません。(ヘブル6:18) 1章のところでも書いたが、『ヘブル人…

苦しみによって従順を学び

キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。(ヘブル5:8-10) 4章では、「神の子イエ…

大胆に恵みの御座に近づこう

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆…

心を頑なにしてはならない

ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。」(ヘブル3:7-8) 『ヘブル人への手紙』の特徴は、聖書(旧約聖書)からの引用が多いことだ。 ユ…

こんなにすばらしい救い

御使いたちを通して語られたみことばに効力があり、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのなら、こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。この救いは、初めに主によって語られ、それを聞い…

御使いよりもすぐれた方

御子が受け継いだ御名は、御使いたちの名よりもすばらしく、それだけ御使いよりもすぐれた方となられました。(ヘブル1:4) 今回から、『ヘブル人への手紙』に入る。 『ローマ人への手紙』のときと同じような、ある種の緊張感がある。 居ずまいを正されると…