みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

来たるべき都

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。(ヘブル13:14-15)

 

『ヘブル人への手紙』もいよいよ最終章にきた。

最初は険しい山岳に挑むような気持ちでいたが、いざ登り始めると、新しく感動することばかりで、いつの間にかここまで来れた。

 

昨夏からこのブログを書き始め、あらためて聖書の奥深さ、素晴らしさに感動し続けている。

こうして発信することで、より熱心に、より注意深く、そして祈り深く聖書を読むようになった。

主が一歩ずつ手を取ってくださり、ひとつずつ扉を開いてくださっているかのようだ。

 

聖書はいまから約3千5百年前に書き始められ、2先年前に完成した。

それほど古い書物でありながら、現代に生きるわたしたちも、その言葉のひとつひとつに心から感動し、教えられ、いのちの糧としている。

そんな書物は、ほかにない。

 

イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。(8)

 

いつまでも変わることのない同じお方を仰いでいるのだから、当然といえば当然である。

こんなに素晴らしい聖書を読まないのは、黄金の山を見過ごすよりもはるかにもったいないことだ。

 

主にある兄弟姉妹で、みことばや信仰に関して発信したい思いがある方は、ぜひやってみると良いと思う。

いちばん恵まれるのは、自分自身だから。

 

さて、ヘブル書は、さまざまな困難に遭遇し信仰から脱落しそうな者たちに、真理を説き明かし、最後まで歩み通すよう激励する手紙だ。

その終わりにあたり著者は、もう一度、目指すべきゴールを指し示す。

 

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。(14)

 

地上にゴールはない。

ゴールは天にある。

 

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。(ヘブル11:13)

 

「旅人」や「寄留者」とは、どういう人だろうか?

それは、“帰るべきホームが別にある人”だ。

いまいる場所は、最終目的地ではなく、仮の場所にすぎない。

 

このホームについて、著者はこれまでに何度も述べている。

 

堅い基礎の上に建てられた都(11:10)

天の故郷(11:16)

生ける神の都(12:22)

揺り動かされない御国(12:28)

 

聖書のことばは、イエスさまがおっしゃったとおり、一点一画も崩れてはいない。

永遠なる神が、ご自身に誓って保証しておられるのだ。(6:17)

わたしたちのために備えられている都を、信仰の目で見ながら、最後まで歩み通したい。

 

永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行なわせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。(20-21)

 

「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ12:32)

 

 

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