みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

イスラエルの子らの旅程

モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。(民数記33:1)

 

山脈を縦走し、最終ピークから振り返って歩いて来た山並みを見る感動は、体験した者にしかわからないだろう。

「これだけを、よく歩いて来たなあ」と満足する至福の時だ。

 

33章は、出エジプト以降40年に渡る旅路の記録である。

ただ彼らの場合は、満足しながら眺めるというわけにはいかない。

なぜなら、その長い行程が不信仰の罪によるものであり、道中においても何度も罪を犯してきたからだ。

どちらかと言えば、「よく主はわたしたちを見捨てなかったなあ」ということになるだろう。

 

「~を旅立って~に宿営し」という表現が数えきれないほどくり返される。

これまで登場していない土地も、多々出てくる。

まさに彷徨い歩いた記録だ。

 

申命記には、こうある。

 

「あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記8:2)

 

聖書全体からはっきり言えることは、苦しみは神の試験であるということだ。

それは、「あなたの心のうちにあるものを知るため」だ。

 

まるで、すごろくのように、彷徨い歩いたイスラエル

進んでは戻り、戻っては進み、四十年。

 

いま、わたしはどこにいるのだろうか。

いま、どのような苦しみによって試されているのだろうか。

わたしの心のうちには、何があるだろうか。

 

「それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。・・・あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。」(申命記8:3・5)

 

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