エジプトに下ることを恐れるな
すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(創世記46:3)
ヨセフがエジプトで生きていると聞いて、ヤコブは奮い立ち、エジプトに向けて出発した。
一族70人を引き連れての大移動だ。
途中のベエル・シェバで神に礼拝を献げたとき、神からのことばがあった。
「エジプトに下ることを恐れるな」(3)
ヨセフとエジプトのファラオ王が万端の準備で待っていると知っていても、ヤコブの心には不安があった。
年老いた自らの体力、幼い孫たち、この大人数で異国の地で暮らせるのかという心配。
そこに、神が「恐れるな」と語られた。
これ以上の力はない。
また、アブラハムとイサクに与えられたカナンでの繁栄の約束はどうなるのか。
それに対しては、こう語られた。
「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」(4)
つまり、このエジプト滞在は一時的なものであるということだ。
実際、ヤコブは祖父や父が眠る墓に葬られ、一族はモーセの代にカナンに戻って来ることになる。
そのような先のことはわからずとも、「再び連れ上る」という約束だけで十分だった。
ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、首にすがって泣き続けた。(29)
これまで見せたヨセフの涙が「泣いた」という表現だったのに対し、ここでは「泣き続けた」となっている。
皆の面前で、自分を制することもなく泣き続けるヨセフ。
どれほどの想いだったか、想像もつかない。
イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」(30)
ヤコブはこのとき、きっとラケルのことも思い出していただろう。
人生、悲しみもあれば、喜びもある。
すべて、神の御手の中だ。
主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(詩篇121:8)