岩を水の潤う沢に変えられた
神は、岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を、水のあふれる泉に。(詩篇114:8)
イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が、ことばの異なる民のうちから、出て来たとき、ユダは神の聖所となり、イスラエルは神の領地となった。(1-2)
その道中、人間の常識では考えられない、主のみわざが何度もあった。
海は見て逃げ去り、ヨルダン川は引き返した。山々は雄羊のように、丘は子羊のように跳ね回った。どうしたことか。海よ、おまえが逃げ去るとは。ヨルダン川よ、おまえが引き返すとは。山々よ、なぜおまえは雄羊のように跳ねるのか。丘よ、なぜ子羊のように跳ねるのか。(3-6)
海が民の前で真っ二つに分かれ、豊かな川が民の前で止まって逆流した。
あり得ないことだ。
そのあり得ないことが、現実に起きた。
神は、岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を、水のあふれる泉に。(8)
水一滴もない渇ききった地で、岩から水があふれ流れた。
これら神のみわざが行われた状況には、共通点がある。
それは、民が大変な苦境に立たされていたことだ。
絶体絶命、もうダメだ、なぜこんなことになったのだと困惑し、八方塞がりと思えたそのときに、神のみわざに遭遇した。
まったく予想もできないみわざに。
この詩篇は、そのことを伝えたかったのではないか。
だから、われわれも主を信頼しようではないか、と。
問題は、状況がどう変わるかではなく、わたしたちが落ち着いて主に信頼するかどうかなのだ。
地よ、主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。(7)
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(1コリント10:13)