復讐の神
復讐の神、主よ、復讐の神よ、光を放ってください。地をさばく方よ、立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。(詩篇94:1)
悪者が勝ち誇り、正しい者が苦しむ。
主よ、いつまでですか、悪しき者が、いつまでですか、悪しき者が勝ち誇るのは。彼らは放言し、横柄に語り、不法を行う者はみな自慢します。(3-4)
このテーマが何度も繰り返されるのは、主にあって正しく歩もうとする者たちを励まし、信仰の忍耐を強めるためではないか。
彼らは言っています。「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない。」(7)
これを言い換えると、「神はいない」のひと言になる。
人は神を信じられないのではなく、信じたくないのだ。
いてもらっては困るのだ。
これが人間の罪の性質だ。
しかし、神は厳然と存在しておられる。
耳を植えつけた方が、聞かないだろうか。目を造った方が、見えないだろうか。(9)
詩人は、神を信じる者たちの幸いを歌う。
なんと幸いなことでしょう。主よ、あなたに戒められ、あなたのみおしえを教えられる人は。わざわいの日に、あなたはその人に平安を与えられます。しかし、悪しき者のためには、穴が掘られます。(12-13)
「わざわいの日」とは、“終わりの日”とも言える。
平安を持ってのぞむか、絶望の叫びをあげるか。
まことに主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のゆずりの民を、お見捨てになりません。こうして、さばきは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従います。(14-15)
正しいさばきは、かならずなされる。
とはいえ、足はよろけ、思い煩いは増す。
「私の足はよろけています」と私が言ったなら、主よ、あなたの恵みで、私を支えてください。私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めで私のたましいを喜ばせてください。(18-19)
ことに、悪者の繁栄をうらやむとき、その罠に落ちる。
主の恵みと、慰めが必要だ。
しかし主は私の砦となり、私の神は、私の避け所の岩となられました。主は彼らの不義をその身に返し、彼ら自身の悪によって、彼らを滅ぼされます。私たちの神、主が、彼らを滅ぼされます。(22-23)
信仰と忍耐が与えられるよう、祈ろう。
あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。(ヤコブ1:3-4)