みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

愚かさに戻らないように

聞かせてください。主である神の仰せを。主は、御民に、主にある敬虔な人たちに、平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。(詩篇85:8)

 

85篇は、主の赦しを確信する告白で始まる。

 

主よ、あなたはご自分の地に恵みを施し、ヤコブを元どおりにされます。あなたは、御民の咎を担い、すべての罪を、おおってくださいます。あなたは、激しい怒りをすべて収め、燃える御怒りから身を引かれます。(1-3)

 

これは「ヤコブ」、すなわちイスラエルの民としての告白だが、いまやイエス・キリストをとおして神を信じるすべての者に適用できる。

 

4節以降は、神への嘆願だ。

 

帰って来てください。私たちのところに。私たちの救いの神。私たちへの御怒りをやめてください。(4)

 

先の1~3節は、この叫びの前段階として、主の赦しを確認したのだろうか。

 

8節では、主のことばを求め、「再び愚かさに戻らないように」と祈る。

 

聞かせてください。主である神の仰せを。主は、御民に、主にある敬虔な人たちに、平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。(8)

 

「愚かさ」とは何だろうか。

 

神に対する不信仰だ。

 

愚か者は心の中で、「神はいない」と言う。(詩篇14:1)

 

真に価値あるものがわからないことだ。

 

「しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」(ルカ12:20)

 

うわべの見せかけに走ることだ。

 

「愚かな者たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。とにかく、内にあるものを施しに用いなさい。そうすれば、見よ、あなたがたにとって、すべてがきよいものとなります。」(ルカ11:40)

 

神を無視し、空しいものを追い求め、うわべを飾ろうとしていた、あの愚かさに再び戻らないようにしよう。

そのために無くてならないのが、「神の仰せ」であるみことばだ。

 

もっと聖書を学びたい。

神学的理論武装のためでなく、生ける神をより生き生きと知るために。

目に見えないお方が、目に見える世界よりも、もっと現実となるために。

 

主が、良いものを下さるので、私たちの大地は産物を産み出します。(12)

 

 

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