ルベン族とガド族
ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。(民数記32:1)
32章では、ルベン族とガド族が土地のことでイスラエルの民に持ち出した提案について記されている。
そこでガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザル、および会衆の上に立つ族長たちのところに来て、次のように言った。・・・「もし、私たちの願いがかないますなら、どうか、しもべどもがこの地を所有地として賜りますように。私たちにヨルダン川を渡らせないでください。」(2・5)
家畜を多く持つ彼らは、ヨルダン川を渡らずに、牧畜に適したヤゼルとギルアデに住みたいと申し出た。
「私たちにヨルダン川を渡らせないでください」という言葉は、モーセの逆鱗に触れた。
40年前に民の意気をくじいた、あの斥候たちと重なったのだ。
「どうして、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか。」(7)
結局、そのときの彼らの不信仰のゆえに、40年も放浪することになった。
同じ轍を踏むことは、モーセとしては絶対に許されないことだった。
「あなたがたが背いて主に従わないなら、主は再びこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたは、この民全体に滅びをもたらすことになるのだ。」(15)
モーセは、ルベン族とガド族を「罪人の子ら」(14)と非難しているが、果たして彼らは不信仰からこのような申し出をしたのだろうか。
この箇所だけからは、読み取れない。
ただモーセは、それを感じ取ったのかもしれない。
見ようによっては、彼らは真っ当な判断で申し出ている。
適材適所というやつだ。
彼らは、動揺するイスラエルの族長たちに、こう告げる。
「しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みます。・・・私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。」(17-18)
潔い言葉だ。
自分たちは最前線で戦う、と言っている。
それを聞いてモーセも、「それなら、よし」とした。
ルベン族とガド族の思いきった申し出と、潔い言葉。
一度は激怒したものの、彼らの言い分をよく聞き、考えを改めたモーセ。
主は、いろいろな働きかたをされる。
ガド族とルベン族は答えた。「主があなたのしもべたちに語られたことを、私たちは実行いたします。」(31)