みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたの口を大きく開けよ

あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう。(詩篇81:10)

 

81篇は、次のように始まる。

 

喜び歌え、私たちの力なる神に。喜び叫べ、ヤコブの神に。(1)

 

最近、いま日本各地で順次公開されている映画『アメイジング・グレイスアレサ・フランクリン』を観た。

ゴスペルシンガーアレサ・フランクリンが教会で行ったライブレコーディングの様子を、最新技術を使って映画化したものだ。

 

この映画が、まさに1節そのものだった。

全身で賛美する歌手、聖歌隊、聴衆たち。

司会役をつとめるのがゴスペルの王と称されたジェームス・クリーブランド

牧師でもある彼が、こう語った。

 

「重要なのは、どんな曲を歌うかではなく、だれに向かって歌うかだ」

 

喜び歌え、私たちの力なる神に。

 

これが私たちの力となる。

まだ映画を観ていない方には、ぜひにとおすすめしたい。

 

6節から、イスラエルをエジプトから導き出した神のことばとなる。

冒頭にあげた8節は、わたしも大好きなみことばだが、その前を読むとこうある。

 

「聞け、わが民よ。わたしはあなたを戒めよう。イスラエルよ、わたしの言うことをよく聞け。あなたのうちに、異なる神があってはならない。異国の神を拝んではならない。わたしは、あなたの神、主である。わたしが、あなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう。」(8-10)

 

つまり、ただ単に「口を大きく」開けることではなく、「わたしが満たす」ことに重きが置かれている。

「異なる神」や「異国の神」ではなく、「わたしが満たそう」と言っておられるのだ。

 

「口を大きく開ける」とは、それに依り頼み、期待することだ。

その点において、わたしたちはどうだろうか。

偶像や異教の神々に手を合わせることはしないかもしれない。

しかし、まことの神以外の何かに頼ろうとしてはいないか。

そちらに向かって、口を大きく開けてはいないか。

 

だれに向かって歌うかが重要なように、だれに向かって「口を大きく開ける」かが大切だ。

真に満たしてくれるのは、生けるまことの神おひとりだ。

 

ところが、続く11節には悲しむべきことばがある。

 

しかし、わたしの民はわたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに服従しなかった。(11)

 

そのようなことにならぬよう、顔をしっかり主に向け、大いなる期待をもって、「口を大きく」開けようではないか。

 

しかし主は、最良の小麦を御民に食べさせる。わたしは岩から滴る蜜で、あなたを満ち足らせる。(16)

 

 

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