みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたから離れ去りません

私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。(詩篇80:18)

 

80篇は、イスラエルの回復を求める祈りだ。

このあたりの詩篇は似たようなテーマが多いため、こうしてブログを書くのもなかなか苦労するが、それほどに彼らイスラエル人にとって「国」が持つ意味は大きいということだろう。

 

イスラエルの牧者よ、聞いてください。・・・エフライムとベニヤミンとマナセの前で、御力を呼び覚まし、私たちを救いに来てください。(1-2)

 

解説によれば、エフライム、ベニヤミン、マナセは、「北方部族の中核」であり、この節は「北王国の滅亡」を予見させる。

 

神よ、私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。(3)

 

この言葉は、7節と19節でもくり返される。

80篇のテーマと言えよう。

 

万軍の神、主よ、いつまであなたの民の祈りに怒りを燃やされるのですか。あなたは彼らに涙のパンを食べさせ、あふれる涙を飲ませられました。(4-5)

 

当時から三千年にもわたってユダヤ人の苦難の歴史が展開してきたことを、わたしたちは知っている。

それほどの長い苦難がありながらも、奇跡的に民族が守られ、国も再興した。

 

あなたは、エジプトから、ぶどうの木を引き抜き、異邦の民を追い出して、それを植えられました。(8)

 

ここに端を発した終わりのない戦闘がいまも続いていることを、どう解釈すればよいのだろう。

 

万軍の神よ、どうか帰って来てください。天から目を注ぎ、ご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください。(14)

 

ローマ書によれば、どんな時代であっても、主を慕い求める敬虔なイスラエルの民が残されている。

彼らの心からの祈りが、このようなものなのだろう。

 

しかし、神が彼に告げられたことは何だったでしょうか。「わたしは、わたし自身のために、男子七千人を残している。これらの者は、バアルに膝をかがめなかった者たちである。」ですから、同じように、今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます。(ローマ11:4-5)

 

私たちはあなたから離れ去りません。(18)

 

もっとも神を知っている民は、間違いなくイスラエルの民だ。

しかし、神のひとり子キリストを殺したのも彼らだ。

ここに驚くべきパラドクスがある。

神のご計画は、計り知れない。

 

彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。(ローマ11:28-31)

 

 

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