王は、牧草地に降る雨のように
王は、牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来ます。(詩篇72:6)
72篇は、最後の20節によると「ダビデの祈り」だ。
表題には「ソロモンのために」とあるので、ダビデが息子ソロモン王のために祈った言葉とわかる。
しかし、ここにある「王」は、そのまま「王の王」であるキリストご自身に当てはめることができる。
つくづく聖書とは不思議な書物だと思う。
では、ダビデが祈り、描いた「王」とはどのような存在なのだろうか。
義をもって正しくさばく。
彼が義をもって、あなたの民をさばきますように。公正をもって、あなたの苦しむ民を。(2)
苦しむ者、貧しい者を守る。
王が、民の苦しむ者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、虐げる者どもを打ち砕きますように。(4)
祝福をもたらす。
王は、牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来ます。(6)
全世界を治める。
海から海に至るまで、川から地の果てに至るまで、王が統べ治めますように。(8)
敵に勝利する。
砂漠の民は王の前に膝をつき、王の敵は、ちりをなめますように。(9)
世界中から崇められる。
こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えるでしょう。(11)
弱い者や貧しい者にあわれみ深く、彼らのいのちを救う。
王は、弱い者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。虐げと暴虐から、王は彼らのいのちを贖います。王の目には、彼らの血は尊いのです。(13-14)
その名がとこしえに覚えられ、賛美される。
王の名がとこしえに続き、その名が、日の照るかぎり増え広がりますように。人々が彼によって祝福され、すべての国々が彼をほめたたえますように。(17)
これらはいずれも、キリストご自身に当てはまる。
あらためて、主イエス・キリストを賛美しよう。
ほむべきかな、神である主、イスラエルの神。ただひとり、奇しいみわざを行われる方。とこしえにほむべきかな、その栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。アーメン、アーメン。(18-19)