目覚めるとき、御姿に満ち足りる
しかし私は、義のうちに御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。(詩篇17:15)
17篇は「ダビデの祈り」(表題)であるが、理不尽な攻撃に対しどのように対処したらよいのかを教えてくれる。
このときダビデは、敵に追い詰められていた。
瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください。私を襲う悪しき者から、私を取り巻く貪欲な敵から。彼らは、鈍い心を固く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。彼らは私たちの跡をつけ、今、取り囲み、目を据えて、地に投げ倒そうとしています。それはまるで、かみ裂くことに飢えた獅子、待ち伏せしている若い獅子のようです。(8-12)
ダビデは、相手の挑発に対して言い返したり、自分の正しさを主張したりはしなかった。
私は、口の過ちを犯さないように心がけました。人としての行いは、あなたの唇のことばに従い、無法者が行く道を避けました。(3-4)
彼はただ、自分のことも、敵のことも、すべてを正しくさばかれる主にゆだねた。
あなたの御前で、私のためのさばきが行われ、御目が、正しいことに注がれますように。(2)
主よ。立ち上がり、彼の前に進み行き、打ちのめしてください。あなたの剣で、悪しき者から、私のたましいを助け出してください。(13)
もしかすると、敵は世的なことについては、幸福を味わうかもしれない。
主よ。御手をもって人々から、相続分が地上のいのちであるこの世の人々から、私のたましいを助け出してください。あなたの蓄えで、彼らの腹は満たされ、子たちは満ち足り、その余りを、さらにその幼子らに残します。(14)
おもしろくない状況ではある。
それでもダビデは、主に信頼しようとしている。
しかし私は、義のうちに御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。(15)
これは、次のように捕捉することもできよう。
「(たとえ敵にいのちを奪われたとしても)目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。」
ダビデはあきらかに、“この世のいのち”以上のものを見ている。
わたしたちもまた、いつの日か「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言っていただけることを最高の望みとして、歩もうではないか。
愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」・・・悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:19・21)