白髪頭になったとしても
年老いて、白髪頭になったとしても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを、後に来るすべての者に。(詩篇71:18)
71篇は、年老いた者の祈りだ。
作者は、文面からするとダビデのようでもあるが、特に明記していないのでわからない。
詩人は、若い頃から神に祝福され「奇跡」と見られた。
私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。(7)
しかし、敵に追われる身となったとき、評価は変わった。
私の敵は、私のことを相談し、私のいのちを狙う者がともに企みます。彼らは言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて彼を捕らえよ。救い出す者はいないから。」(10-11)
彼がもっとも恐れたことは、自分の栄誉ではなく、神の栄誉が傷つくことだった。
次の言葉も、そのような意味で捉えるべきだろう。
主よ、私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。(1)
あなたが私の偉大さを増し、振り向いて私を慰めてくださいますように。(21)
彼は、自分の恥や栄誉が神の栄光に関わることだからこそ、こう祈ったのだ。
その証拠に、この詩でもっともくり返される言葉は「あなたの義」だ。
あなたの義によって、私を救い、助け出してください。(2)
私の口は絶えず語り告げます。あなたの義と救いとを。そのすべてを私は知っておりませんが。(15)
神である主よ、私はあなたの力とともに行きます。あなたの、ただあなたの義だけを心に留めて。(16)
神よ、あなたの義は天にまで届きます。(19)
私の舌も絶えず、あなたの義を告げます。(24)
冒頭に挙げた18節でもわかるように、彼は、年老いたいま、自分の名を後世に残そうとするのではなく、「あなたの力」「あなたの大能のみわざ」を残そうとしている。
詩人は、わたしたちに“老い方”の模範を示してくれている。
白髪頭になろうとも、神に頼り、神の義のために祈る者でありたい。
私の口にはあなたへの賛美が、あなたの栄えが絶えず満ちています。年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、見捨てないでください。(8-9)
「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)