あなたの義を、心の直ぐな人たちに
注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人たちに。(詩篇36:10)
詩篇におさめられたダビデの多くの言葉を読むと、彼が主をいかに愛したかだけでなく、主に背く者をいかに憎んだかも伝わってくる。
その者を憎むというよりも、その心にある神への敵対、高ぶり、侮りを憎んでいるのだろう。
それは主への愛の裏返しでもある。
はたして、わたしはそのような心でいるだろうか。
私の心の奥にまで、悪しき者の背きのことばが届く。彼の目の前には、神に対する恐れがない。彼は自分の判断で自分を偽り、自分の咎を見つけて、それを憎む。彼の口のことばは、不法と欺き。思慮深くあろうともせず、善を行おうともしない。(1-3)
山を愛する人は、山を汚す人に対して怒りを覚える。
同様に、主を愛する人は、主を汚す人に対して怒りを覚える。
エルサレムの宮で商売人たちの台をひっくり返した、イエスさまの聖なる怒りがそうだった。
「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」(マタイ21:13)
ダビデは悪しき者から目を離し、天を見上げる。
主よ、あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は、高くそびえる山。あなたのさばきは、大いなる淵。主よ、あなたは人や獣を救ってくださいます。(5-6)
天、雲、山、淵、それらに目をやるとき、偉大な主の御力とその義を思わずにはいられないと、ダビデは歌う。
神よ、あなたの恵みはなんと尊いことでしょう。人の子らは、御翼の陰に身を避けます。彼らは、あなたの家の豊かさに満たされ、あなたは、楽しみの流れで潤してくださいます。いのちの泉はあなたとともにあり、あなたの光のうちに、私たちは光を見るからです。(7-9)
「御翼の陰」とは、このブログのタイトルにもさせてもらっている大好きなみことばだ。
神の子どもたちは、そこに安らかに憩い、楽しむ。
そして冒頭にもあげた10節で、ダビデは、主を知る者、心の直ぐな人たちのために祝福を祈る。
注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人たちに。(詩篇36:10)
神に敵対する者たちの罪を徹底して憎み、神を求める者たちの祝福を祈る。
この心を、わが心としたい。
私パウロが、自分の手であいさつを記します。主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。(1コリント16:21-23)