私と戦う者と戦ってください
主よ、私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。(詩篇35:1)
自分を攻撃してくる者に対して、どう対処すればよいのか。
そう悩むひとがいるなら、35篇を読むことをすすめたい。
ダビデはいのちの危険を感じるほどに攻められたが、自ら戦おうとせず、主が戦ってくださるよう叫んだ。
私のいのちを求める者たちが恥を見、卑しめられますように。私に対してわざわいを謀る者たちが退き、辱めを受けますように。彼らを風の前の籾殻のようにし、主の使いが追い散らすようにしてください。(4-5)
わたしたちは、どうだろうか。
他人から攻撃されたとき、どうするだろうか。
直接攻撃し返すこともあるかもしれないし、じっと耐えるかもしれない。
仮に耐えたとしても、心中ではどうだろうか。
ボコボコにののしり返してはいないだろうか。
残念ながら、わたし自身はそういう者だ。
しかしダビデは、祈った。
私と戦う者と戦ってください。(1)
ここにすでに、救いがあるような気がする。
これは神を知る者だけが見出すことのできる“逃れ道”だ。
わたしたちのたましいを健全に守ってくれる道だ。
私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって、楽しみます。(9)
敵は、近しい者かもしれない。
しかし私は、彼らが病のとき粗布をまといました。私は断食してたましいを苦しめ、私の祈りは胸の中を行き来していました。私の友や兄弟であるかのように、私は足を運び、母の喪に服するように、うなだれて泣き悲しみました。(13-14)
彼のために祈った「友」が、いまや「私」を攻撃してくる。
これはつらいことだ。
そのうち便乗者まで出てくる。
それなのに、私がつまずくと彼らは喜んで集まり、私の知らない攻撃者が、私に向かって集まり、休みなく私を中傷しました。嘲りののしる者たちは、私の周りで、私に向かって歯をむき出しました。(15-16)
話はそれるが、実はこのブログにも、何度か攻撃的なコメントが来た。
最初の一言二言でもう悪臭がひどいので、ほとんど読まずに削除したが、お疲れさんなことだと思う。(いい気持ちはしないので、いまはコメントオフにしている)
どのような人が、どのような事情で送り付けるのか知らないが、主はすべてご存知だ。
それほど信仰や神をののしるパワーがあるなら、主に出会うこともできるかもしれない。
主がふさわしく臨んでくださるよう、祈るのみだ。
ダビデは、最後に義なる主を仰いで、こう締めくくった。
わたしたちも、ダビデに倣いたい。
私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜、あなたの誉れを。(28)