私は衰えています
主よ。私をあわれんでください。私は衰えています。主よ。私を癒やしてください。私の骨は恐れおののいています。(詩篇6:2)
主を生き生きと覚えることができず、遠くに感じることがある。
祈りは形式的になり、みことばも心に響かない。
その原因はひとえに、自分の“罪”にある。
ダビデは、それを自覚していた。
主よ。御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。(1)
それでもダビデのすばらしいところは、弱った自分をそのまま主の前にさらけ出したことだ。
「私は衰えています」「恐れおののいています」。
主よ。帰って来て、私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。(4)
私は嘆きで疲れ果て、夜ごとに、涙で寝床を漂わせ、ふしどを大水で押し流します。(6)
ダビデは、居心地の良いベッドの上で安穏と生きたのではなかった。
砂を嚙むような苦渋の中で、転げ回りながら主を見上げたのだ。
私の目は苦悶で衰え、私のすべての敵のゆえに弱まりました。(7)
敵の嘲笑が聞こえる。
「おまえの神はどこにいるのか」とののしる声が。
不法を行う者たち、みな私から離れて行け。(8)
そんな中、ダビデの心は神を慕い求める者たちと共にあった。
ゴリアテに対したときと同じように、神とその民を侮る者たちにがまんならなかったのだ。
わたしは、この「不法を行う者たち」に、“古き自分”も加えたい。
不法を行う“古き自分”よ、私から離れて行け。
心注ぎ出したあと、ダビデは本来の確信に立ち返る。
主は私の切なる願いを聞き、主は私の祈りを受け入れられる。(9)
主は私の祈りを受け入れられる、聞いてくださる。
この告白は、この6篇までに、すでに何度も出てきている。
それほどダビデにとって重要な証しであった。
敵が何と言おうとも、わたしたちも勇気をもって同じように告白しよう。
「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31:6)