正しい人には苦しみが多い
正しい人には苦しみが多い。しかし、主はそのすべてから救い出してくださる。(詩篇34:19)
これが34篇のテーマだ。
正しい人だから苦しみに遭わないのではない。
むしろ「苦しみが多い」とさえ言われている。
他の節からも、それがわかる。
私が主を求めると、主は答え、すべての恐怖から、私を救い出してくださった。(4)
この苦しむ者が呼ぶと、主は聞かれ、すべての苦難から救ってくださった。(6)
若い獅子も乏しくなり、飢える。しかし、主を求める者は、良いものに何一つ欠けることがない。(10)
苦しむ者が叫ぶと、主は聞かれ、そのすべての苦難から救い出してくださる。(17)
共通するのは、
- 恐怖、苦難、飢えに苦しんでいる
- 主に叫び求めると、主が救い出してくださる
ということだ。
あなたがひどい目にばかり遭うのは、あなたの運勢が悪いからだ、家の方角が問題だ、先祖の祟りだ、さあこれを買いなさい、ここに入信しなさい、そうすれば救われる云々。
これが多くの宗教の常套句であることは、言うまでもない。
しかし、聖書によれば、平和と繁栄ばかりが祝福とは限らない。
むしろ、神は苦しみを与えるお方であると言われている。
なぜ、神は苦しみを与えられるのか?
苦しむことなしに、人は心から神を求めようとはしないからだ。
そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。(へブル12:5-7)
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(同11)
自分の経験からも、はっきり言える。
もし順風満帆にすべてがうまくいったなら、わたしは間違いなく傲慢になり、主を求めなくなるだろう。
正しい者には苦しみが多い。
曲がった世にあって、まっすぐに歩もうとすればなおさらだ。
しかし、主はそのすべてから救い出してくださる。
ダビデとともに、主をほめたたえよう。
私はあらゆるときに、主をほめたたえる。私の口には、いつも主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。一つになって、御名をあがめよう。(1-3)