みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

敵を平然と眺める

主よ、あなたの御名に感謝します。すばらしい御名に。神がすべての苦難から私を救い出し、私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。(詩篇54:7)

 

パウロは、次のように書いた。

 

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)

 

ペテロは、こう書いている。

 

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。(1ペテロ5:8-9)

 

これらのみことばからわかるのは、わたしたちは意識するしないにかかわらず、悪魔と悪霊どもの攻撃対象であり、霊的戦いの中にあるということだ。

 

そのことを念頭に置いて、54篇を見てみたい。

 

神よ、あなたの御名によって、私をお救いください。あなたの力強いみわざによって、私を弁護してください。神よ、私の祈りを聞いてください。私の口のことばに耳を傾けてください。(1-2)

 

敵に囲まれたとき、ダビデは敵と闘ったり、あるいは敵と交渉しようとはしなかった。

ただ神に祈り、叫んだ。

 

見知らぬ者たちが、私に立ち向かい、横暴な者たちが、私のいのちを求めています。彼らは神を前にしていないのです。(3)

 

「神を前にしていない」、その最たる存在は悪魔だ。

これに対しダビデは、こう告白している。

 

私はいつも、主を前にしています。(詩篇16:8)

 

主を前にして、主とともに歩むときにのみ、わたしたちはまことの平安、喜び、力を得る。

主を前にせず、自分だけで出て行けば、ろくなことにならない。

 

見よ、神は私を助ける方。主は私のいのちを支える方。神は、私を待ち伏せる者たちに、わざわいをもって報いられます。あなたの真実によって、彼らを滅ぼしてください。(4-5)

 

主への信頼を表す言葉だ。

恐れや不安に吞み込まれそうになるとき、同じように主への信頼を明言しよう。

 

私は、心からのささげ物をもって、あなたにいけにえを献げます。主よ、あなたの御名に感謝します。すばらしい御名に。(6)

 

真心から、感謝を、砕かれた心を、自分自身を献げよう。

 

神がすべての苦難から私を救い出し、私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。(7)

 

主に信頼するとき、主はゆとりを与えてくださる。

主の勝利は決まっている。

私は敵の敗北を「平然と眺める」。

これがもっとも現実となるのは、天に召されるときだろう。

主の御名を崇めよう。

 

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)

 

 

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