みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたの重荷を主にゆだねよ

あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはなさらない。(詩篇55:22)

 

昔、主によって大いに用いられた方の奥様に、「ご主人は大変ですね」と言うと、こう返された。

 

「主人は全部、主にゆだねます。そうしないと、みんな問題ばかり持って来てやってられません」

 

ダビデは執拗なまでに敵に追われ、苦しめられた。

その苦しみは、単純なものではなかった。

 

まことに、私をそしっているのは敵ではない。それなら私は忍ぶことができる。私に向かって高ぶっているのは、私を憎む者ではない。それなら私は身を隠すことができる。それは、おまえ。私の同輩、私の友、私の親友のおまえなのだ。私たちは、ともに親しく交わり、にぎわいの中、神の家に一緒に歩いて行ったのに。(12-14)

 

このような苦しみは、ほんとうにストレスになる。

ダビデは、それをそのまま主の前にさらけ出した。

 

私が神を呼ぶと、主は私を救ってくださる。夕べに朝に、また真昼に、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。(16-17)

 

「主は私の声を聞いてくださる」、この確信こそダビデの武器だった。

その彼が言う。

 

あなたの重荷を主にゆだねよ。(22)

 

現代はストレスの時代であり、うつ病を患う人が後を絶たない。

ちょっとした規模の会社や役所、学校に至るまで、カウンセリングルームが置かれ、しかも忙しい。

 

うつになる人の特徴として、真面目で責任感が強く、多くのことを抱え込み過ぎると、よく言われる。

ならば、ダビデの勧めこそ、うつ病の人に必要なものではないだろうか。

 

幼子は、ゆだねる天才だ。

何を悪びれることもなく、「抱っこ」と言ってすがりついてくる。

子どもが抱っこをせがむのは、無責任だからでも、ラクをしたいからでもない。

抱っこされると、安心だからだ。

そのうち満足して、また駆け出していく。

 

自分がしっかりせねば、自分がやらなければというプレッシャーは、その人を追い詰め、動けなくしてしまう。

そこには不安しかなく、それがのしかかると、ますますフリーズする。

 

主があなたを支えてくださる。(22)

 

主は、あなたの重荷を支えるのではなく、あなたを支えてくださるのだ。

主が「抱っこ」してくださるのだ。

そこでわたしたちは癒やされ、安心し、元気になり、また歩き出せる。

 

悪びれることなく、全部、主にゆだねよう。

主から見れば、わたしたちは何もできない赤子なのだから。

 

「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」(マタイ6:30)

 

 

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