みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

世々限りなくほめたたえます

私の神、王よ、私はあなたをあがめます。あなたの御名を、世々限りなくほめたたえます。(詩篇145:1)

 

これも「ダビデの賛歌」だ。

ダビデは、心からこのように言えた。

 

日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さは、測り知ることもできません。(2)

 

わたしは同じように言えるだろうか。

ダビデのように、主をダイレクトに賛美できるだろうか。

詩篇にこう書いてあるからと、それになぞって賛美することはあっても、心から主を見上げて賛美することが少ない気がする。

 

まあ、そう落ち込むことはよそう。

ダビデは、賛美すべき根拠も語ってくれている。

 

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵みに富んでおられます。主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。(8-9)

 

神がこの真反対の方であっても、だれも文句は言えなかった。

すなわち、情けもあわれみも無く、怒ってばかりで、けちんぼ極まりない、という方であっても。

幸い、そうではなかった。

 

主は倒れる者をみな支え、かがんでいる者をみな起こされます。(14)

 

これも、倒れる者をさらに蹴り倒し、かがんでいる者を踏みつけるような方であっても、文句は言えなかった。

が、そうではなかった。

 

主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに、主は近くあられます。また、主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われます。(18-19)

 

主はまごころからの祈りを聞いてくださり、近くあってくださる。

よかった。

主が、そのようなお方でよかった。

 

子どものような純な信仰をもって、主に近づき、賛美しよう。

 

すべて主を愛する者は主が守られます。(20)

 

 

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