主を恐れること
知恵の初め、それは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。主の誉れは永遠に立つ。(詩篇111:10)
主を恐れることは知恵の初めだ。
「初め」は第一ボタンであり、ここを掛け違えたら、あとが完ぺきでも意味がない。
どんな知恵者であろうとも、「主を恐れる」ことがないならば、愚かなのだ。
「彼(彼女)は主を恐れる人です」は、信仰者にとって最高のほめ言葉だという。
では、「主を恐れる」とはどういうことだろう?
たんに罪を犯さないということではない気がする。
「主を恐れる」とは、主の栄光をかすめ取らないということではないだろうか。
主にのみ栄光をお返しする、そういうあり方だ。
人はごまかせても、主をごまかすことはできない。
111篇には、主がどういうお方であるか、主のご性質をあらわす言葉がたくさんある。
主のみわざは偉大。(2)
そのみわざは威厳と威光。その義は、永遠に立つ。(3)
主は情け深く、あわれみ深い。(4)
主を恐れる者に食べ物を与え、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。(5)
御手のわざは真実と公正、そのすべての戒めは確かである。(7)
それらは世々限りなく保たれ、真実と正しさをもって行われる。(8)
主の御名は聖であり、恐れ多い。(9)
これだけでも、ひとつひとつをじっくり受け取れば、圧倒される。
きょう、わたしは主を恐れる者だろうか?
私はいつも、主を前にしています。(詩篇16:8)
私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。(詩篇115:1)