みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

メルキゼデクの例に倣い

主は誓われた。思い直されることはない。「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」(詩篇110:4)

 

110篇は、7節しかないにもかかわらず、新約聖書によく引用されている詩篇だ。

それだけ重要なメッセージが満ちており、全篇が“メシア預言”になっている。

 

主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」(1)

 

作者のダビデはここで、「主」と「私の主」について言及している。

これはそれぞれ、「御父」と「御子」を示す。

エスさまご自身が、そう明かされた。

 

エスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの足台とするまで」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」(マタイ22:43-45)

 

エスさまのことばによれば、ダビデが「御父」と「御子」という驚くべき啓示を与えられたのは「御霊」による。

 

主はあなたの力の杖を、シオンから伸ばされる。「あなたの敵のただ中で治めよ」と。(2)

 

この節から、シオン(エルサレム)が御子の敵になること、そこで御子が勝利を治めることがわかる。

シオンの民は回心する。

 

あなたの民は、あなたの戦いの日に喜んで仕える。聖なる威光をまとって、夜明け前から。あなたの若さは朝露のようだ。(3)

 

そして冒頭にあげた4節では、「メルキゼデク」のような「祭司」として示される。

これは御子の祭司としての“永遠性”と“完全性”をあらわしている。

このあたりは、『へブル人への手紙』5~7章に詳しい。

 

5節以降は再臨の主に関する記述で、これから後に起きることだ。

 

あなたの右におられる主は、御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。国々をさばき、屍で満たし、広い地を治める首領を打ち砕かれる。主は道の傍らで、流れから水を飲まれる。こうして、その頭を高く上げられる。(5-7)

 

このように110篇は短いながらも、神の奥義が示されている深遠な詩篇だ。

そのスケールの大きさを仰げば、目の前の悩みなど小さく感じるというものだろう。

 

エスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。(へブル7:24-25)

 

 

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