みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

私は苦しむ者、貧しい者です

私は苦しむ者、貧しい者です。神よ、私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救い出す方。主よ、遅れないでください。(詩篇70:5)

 

この詩篇も、ダビデが敵に追い詰められた状況で生まれた。

 

神よ、私を救い出してください。主よ、急いで私を助けに来てください。(1)

 

このようなダビデの多くの詩篇を読むとき、それをそのままキリストが“追体験”されたことに気づかされる。

 

私のいのちを求める者たちが、恥を見、辱められますように。私のわざわいを喜ぶ者たちが退き、卑しめられますように。「あはは」とあざ笑う者たちが、恥をかいて、立ち去りますように。(2-3)

 

エスさまも、いのちを狙われ、あざ笑われた。

ただ、ダビデと違うのは、イエスさまは敵のために祈られたことだ。

 

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)

 

ダビデは、続けて祈った。

 

あなたを慕い求める人たちがみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神は大いなる方」と、いつも言いますように。(4)

 

エスさまも、神を信じる者たちのために祈られた。

 

「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」(ヨハネ17:15-16)

 

 

私は苦しむ者、貧しい者です。(5)

 

エスさまもまた、涙をもって祈るほどに苦しみ、弱くなられた。

わたしも、虚勢を張るのをやめ、神の御前に無力な者として素直に祈ろう。

 

キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。(へブル5:7)

 

 

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