みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

すべてを成し遂げてくださる神

私はいと高き方、神を呼び求めます。私のために、すべてを成し遂げてくださる神を。(詩篇57:2)

 

ダビデは、彼のいのちをつけ狙うサウル王から逃れて、洞窟に潜んでいた。

 

私のたましいは、獅子たちの間で、人の子らを貪り食う者の間で横たわっています。彼らの歯は槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。(4)

 

恐怖と緊張の中で、ダビデは神に身を避けた。

 

私をあわれんでください。神よ。私をあわれんでください。私のたましいは、あなたに身を避けていますから。私は、滅びが過ぎ去るまで、御翼の陰に身を避けます。(1)

 

神に身を避けるとは、具体的には、神に信頼して祈ることだった。

 

私はいと高き方、神を呼び求めます。私のために、すべてを成し遂げてくださる神を。(2)

 

このとき、ダビデを慕う四百人の者たちも共いた。(1サムエル22:2参照)

彼らは、事あるごとに祈るダビデの姿を見ただろう。

後に弟子たちが、主イエスの祈る姿を見たように。

 

だが、イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた。(ルカ5:16)

 

そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。(ルカ6:12)

 

さて、イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちも一緒にいた。(ルカ9:18)

 

まことの神は、祈りを聞き、祈りに答えてくださる、生ける神だ。

 

神は、天から助けを送って、私を救い、私を踏みつける者どもを、辱められます。神は、恵みとまことを送ってくださいます。(3)

 

それは「天からの助け」であって、人知をはるかに超えている。

わたしたちの思いとは、大きく違うのだ。

 

彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。私のたましいはうなだれています。彼らは私の前に穴を掘り、自分でその中に落ちました。(6)

 

だから、ダビデは自分に言い聞かせるように、こうくり返した。

 

神よ、私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません。私は歌い、ほめ歌います。(7)

 

彼が自らの信仰を鼓舞しているのは、続く節からもわかる。

 

私のたましいよ、目を覚ませ。琴よ、竪琴よ、目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。(8)

 

恐れがあるのは当然だ。

だからこそ、ダビデのように、祈り、信頼し、信仰の告白を堅く保とう。

 

あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。神よ、あなたが天で、あなたの栄光が全地であがめられますように。(10-11)

 

 

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