みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたの恵みに依り頼みます

私はあなたの恵みに依り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。(詩篇13:5)

 

13篇は、6節あまりの短い詩篇だ。

2節ずつ、三段階に分けてみよう。

 

  1. 嘆きの告白(1-2)
  2. 主への訴え(3-4)
  3. 主への信頼と賛美(5-6)

 

ダビデは、まずはじめに、辛い気持ちを主の前に注ぎ出す。

 

主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。(1)

 

ダビデの名はユダヤ史において燦然と輝くものであるが、彼自身はけっして幸福な生涯を送ったわけではなかった。

つねに敵に追われ、戦いのなかにあった。

ダビデ自身、主からの言葉として、次のように言っている。

 

「しかし、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの名のために家を建ててはならない。わたしの前に多くの血を流してきたからである。』」(1歴代誌22:8)

 

2節には、こうある。

 

私の心には、一日中、悲しみがあります。(2)

 

ダビデのすばらしいところは、悲しむだけでなく、その悲しみを主の前に告白したことだ。

主の前に正直にさらけ出すと、祈る力がよみがえってくる。

 

私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を明るくしてください。私が死の眠りにつかないように。(3)

 

まことの神を「私の神、主よ」と心から呼べる人は幸いだ。

その点において、ダビデは大きな幸福家だった。

 

私はあなたの恵みに依り頼みます。(5)

 

「恵みに依り頼む」とは、どういうことだろうか。

恵みとは“値しない者に与える”ことだといわれる。

 

ダビデは、これまでの勝利も、いまある地位も、すべて、値しない者に与えてくださる「主の恵み」と受け取った。

そしてこれからも、主の恵みにのみ信頼するのだ、と言っている。

 

そこに立ち返ったとき、彼は、主を高らかに歌った。

 

私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。(6)

 

この詩篇は、特に3節以降、ひとことずつなぞりながら、自分の祈りとしたいと思った。

詩篇は、実にすぐれた祈祷書だ。

 

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:15-16)

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村