みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

惜しみなく分け与えた

彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立ち、彼の角は栄光のうちに高く上げられる。(詩篇112:9)

 

112篇は、繁栄する人について語っている。

繁栄する人は、どのような人か?

 

ハレルヤ。幸いなことよ、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その子孫は地の上で勇士となり、直ぐな人たちの世代は祝福される。繁栄と富はその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。(1-2)

 

第一に、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人だ。

仰せを喜ぶ人であって、仰せを守る人ではない。

そもそも主の仰せをほんとうの意味で守ることができるのは、仰せを大いに喜ぶ人だけである。

 

第二に、与える人だ。

 

幸せなことよ。情け深く、人に貸し、自分に関わることを公正に扱う人は。その人はとこしえまでも揺るがされない。正しい人はとこしえに覚えられる。(5-6)

 

彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立ち、彼の角は栄光のうちに高く上げられる。(9)

 

「惜しみなく分け与え」とある。

これ、ちょっと惜しいけど、まあ与えようか、というのは与えることにならない。

 

“惜しむ”のは、なぜだろうか。

自分のものと思っているからではないだろうか。

自分のお金、物、時間、仕事、家族、人生。

現代は特に、これら“自分のもの”を何よりも大切にするべきという声が大きい。

 

しかしイエスさまはなんと言われたか。

 

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16:24)

 

パウロは、こう言った。

 

あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(1コリント4:7)

 

ザアカイは、人から奪ったものを「四倍にして返します」と告白して祝福された。

ケチと傲慢は表裏であり、ケチは祝福されないのだ。

 

主よ、わたしは情けないほど卑しく、どケチな人間です。

どうか、自分に固執せず、おおらかに与える者に変えてください。

アーメン。

 

わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(2コリント9:6-7)

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村