みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主に信頼し、善を行え。

主に信頼し、善を行え。地に住み、誠実を養え。主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩篇37:3-4)

 

この詩を歌ったとき、ダビデはある程度晩年にあった。

25節に、こうある。

 

若かったころも年老いた今も、私は見たことがない。正しい人が見捨てられることを。その子孫が食べ物を乞うことを。(25)

 

多くの人を見、たくさんのことを経験してきたダビデが、人生の結論として語っていると捉えていいだろう。

そこで語られていることは、とてもシンプルだ。

 

神を恐れない悪者は断ち切られるが、神を恐れ、慕い求める者は、かならず主の祝福にあずかる。だから、主を信頼して、誠実に歩め、と。

 

ダビデの子ソロモンも、晩年に人生をこう結論づけた。

 

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。(伝道者12:13-14)

 

さて冒頭の3・4節であるが、このみことばだけでもほんとうに心に据えたら、わたしの信仰生活はどう変わるだろうかと思う。

 

「地に住み」は、「地に足をつけ」という意味だろうか。

しっかりと地に足をつけ、落ち着いた生活を志し、主の前に誠実に歩む。

そういう者でありたい。

 

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたの正しさを、真昼のように輝かされる。(5-6)

 

はじめて行った街でタクシーに乗ったなら、運転手にすべておまかせだ。

後ろから、「運転手さん、そこは右に、その次は左でお願いします」などと言う人はいない。

その街のことは何も知らないのだから。

 

わたしたちは、自分の人生が明日、いや今日どうなるかすら、何も知らない。

すべてをご存知の運転手である主に、おまかせしよう。

 

「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」(マタイ6:34)

 

神を恐れず、罪を罪とも思わない人がうまくいっているのを見ても「腹を立てるな」と、ダビデはくり返している。

 

主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や、悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。(7-8)

 

そして、主は誠実に歩む者にかならず報いてくださると、何度も強調している。

ダビデの証言を堅く信じて、主の道を歩もう。

 

主に祝福された人は地を受け継ぎ、主にのろわれた者は断ち切られる。主によって、人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。(22-23)

 

まことに、主は義を愛し、主にある敬虔な人をお見捨てにならない。彼らは永遠に保たれるが、悪しき者どもの子孫は断ち切られる。(28)

 

主を待ち望め。主の道を守れ。主はあなたを高く上げ、地を受け継がせてくださる。あなたは悪しき者どもが断ち切られるのを見る。(34)

 

 

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