貧しい者にご自分の道をお教えになります
主は貧しい者を正義に歩ませ、貧しい者にご自分の道をお教えになります。(詩篇25:9)
きょうも、ダビデの歌から学ぼう。
25篇は、主がどういう者と親しくされ、導いてくださるかを教えている。
上のみことばにあるように、主は「貧しい者」を導かれる。
「貧しい者」とは、どういう人のことだろうか?
1.主を信頼する者
主よ、あなたを、わがたましいは仰ぎ求めます。わが神、あなたに、私は信頼いたします。(1-2)
主を仰ぎ見ること、信頼すること。
ダビデの唯一の拠りどころは、主を仰ぐことだった。
2.主に教えを乞う者
主よ、あなたの道を私に知らせ、あなたの進む道を私に教えてください。あなたの真理に私を導き、教えてください。(4-5)
「教えてください」と言えるのは、自分がわかっていないことを自覚する人だけだ。
何でも自分で決める、自分はわかっている、と思う人は、はじめから教えてもらおうとはしない。
3.罪人として御前に出る者
私の若いころの罪や背きを、思い起こさないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ、あなたのいつくしみのゆえに。(7)
主よ、あなたの御名のゆえに、私の咎をお赦しください。それは大きいのです。(11)
貧しい者は、自分を誇ることができない。
神の御前に、小さな罪人でしかないことを知っているからだ。
4.主を恐れる者
主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。・・・主は、ご自分を恐れる者と親しく交わり、その契約を彼らにお知らせになる。(12・14)
人生は選択だという。
きょう一日の中でも、無数の選択がある。
主を恐れ、「選ぶべき道」を教えていただこう。
5.正直な者
私に御顔を向け、私をあわれんでください。私はひとり、苦しんでいます。私の心の苦しみが大きくなりました。どうか、この苦悩から私を引き出してください。(16-17)
ダビデは、孤独な苦悩を、主の御前に正直にさらけ出した。
「ひとり、苦しんで」いるなら、それをそのまま告白しよう。
それなら、できるのではないだろうか。
誠実で直ぐな心で、私が保たれますように。私はあなたを待ち望んでいますから。(21)
この詩篇もまた、自分の祈祷書として用いたい一つだ。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)