あなたの住まいのある所
主よ、私は愛します。あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所を。(詩篇26:8)
テレビCMのなかでも、特に“家”のCMはよくできているなぁと思う。
家族の物語がたくみに織り交ぜられ、あんな家に住めたら素敵だなと思わされる。
しかし、狭い家に住む者のひがみではないが、ダビデは大邸宅にはるかにまさる最高の「住まい」があることを教えている。
「あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所」、その場所をこそ「私は愛します」と彼は告白した。
羊にとっては、良き羊飼いのそばにいることが何よりも幸せで安全だ。
そのようにダビデは、主の住まいで主とともにあることを愛した。
主の住まいで過ごすには、きよくある必要がある。
主よ、私を調べ、試みてください。私の心の深みまで精錬してください。(2)
心の深みまで探ってくださいと祈ったのは、自分がきよくなって悟りを開くためではない。
主に喜ばれ、主とともに過ごしていたいからだ。
私は不信実な人とともに座らず、偽善者とともに行きません。悪を行う者の集まりを憎み、悪しき者とともに座りません。手を洗い、自らの潔白を示します。(4-6)
世の誘惑はしつこく、強い。
ダビデは、その仲間にはならないと言っている。
あなたがたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。(1ヨハネ2:16)
世にありながら世を愛さない、なかなか難しいことだが、信仰者として学ぶべき課題だ。
主よ、私はあなたの祭壇の周りを歩きます。感謝の声を響き渡らせて、語り告げます。あなたの奇しいみわざのすべてを。(6-7)
ダビデの“証し”は、どんなだったろう。
どれほど喜びに満ちて、生き生きと主を語ったことだろう。
主よ。
ダビデがあなたを、あなたの御住まいを愛した、その愛を、わたしにもあふれさせてください。
アーメン。
私の足は平らな所に立っています。数々の集いで、私は主をほめたたえます。(12)