みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

主の麗しさに目を注ぎ

一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。(詩篇27:4)

 

ダビデは敵に囲まれていた。

 

私の肉を食らおうと、悪を行う者が私に襲いかかったとき、崩れ落ちたのは、私に逆らう者、私の敵であった。たとえ、私に対して陣営が張られても、私の心は恐れない。たとえ、私に対して戦いが起こっても、それにも私は動じない。(2-3)

  

その中にあっても、彼は、「恐れない」「動じない」と言えた。

強者だったからではなく、主を見上げていたからだ。

 

主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。(1)

 

4節では、「主の家に住む」その一つのことを願った、と告白している。(冒頭)

これまでも、たびたび彼は、「主の家」について歌っていた。

 

私はいつまでも、主の家に住まいます。(詩篇23:6)

 

主よ、私は愛します。あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所を。(詩篇26:8)

 

ダビデにとって「主の家」にいることは、何にもまさる喜びであり、願いであった。

そこで彼が見上げた「主」は、どのような方だったか?

 

主の麗しさに目を注ぎ、・・・(4)

 

ダビデは主を「麗しい」お方として見上げていた。

わたしは、どうだろう?

主を「麗しい」お方として見上げているだろうか。

 

「主の麗しさ」、きっと、想像もできないほどすばらしい。

 

あなたに代わって、私の心は言います。「わたしの顔を慕い求めよ」と。主よ、あなたの御顔を私は慕い求めます。(8)

 

ダビデほど、主の御顔を慕い求めた人はいない。

わたしもまた、ダビデのように主の御顔を慕い求めたい。

 

御前に静まって、麗しい主の御顔を仰ぎ見よう。

主が与えてくださっている恵みの数々を、あらためて数えてみよう。

どれほど良くしてくださっていることか、守られていることか。

主の麗しさに目を注ごう。

 

待ち望め、主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め、主を。(14)

 

 

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