どうか彼らの羊飼いとなって
どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも彼らを携え導いてください。(詩篇28:9)
28篇の前半では、ダビデは祈りを聞いてくださるよう、主に嘆願している。
主よ、私はあなたを呼び求めます。わが岩よ、どうか私に耳を閉ざさないでください。・・・私の願いの声を聞いてください。(1-2)
悪者と主の目にかなう者との違いは、祈りが聞かれるかどうかにある。
悪者と同じ扱いをしないでくださいと、ダビデは声を上げた。
私に沈黙しないでください。私が、穴に下る者どもと同じにされないように。(1)
どうか、悪者や不法を行う者どもと一緒に、私を引いて行かないでください。(3)
もし自分が悪者と同じようにされるなら主の義はどこにあるのですか、と言わんばかりだ。
だからこそ正しくさばいてくださいと、求めている。
彼らの行いとその悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。(4)
後半は一転して、主が祈りを聞かれたことへの賛美に変わる。
ほむべきかな、主。主は私の願いの声を聞かれた。主は私の力、私の盾。私の心は主に依り頼み、私は助けられた。私の心は喜び踊り、私は歌をもって主に感謝しよう。(6-7)
この歌をほんとうの意味で歌えるのは、天の御国に帰ったときではないだろうか。
御国はこのような賛美で満ち溢れているにちがいない。
どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも彼らを携え導いてください。(9)
ダビデは、自分のための祈りから、「御民」のための祈りへと導かれた。
わたしたちは、いますでに、この「祝福」にあずかっており、まことの「羊飼い」を知っている。
最後に、イエスさまご自身の祈りに耳を傾けよう。
「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」(ヨハネ17:26)