みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

私の唇の戸を守ってください

主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください。(詩篇141:3)

 

141篇は、悪からの守りを願うダビデの祈りだ。

 

主よ、私はあなたを呼び求めています。私のところに急いでください。私があなたに呼び求めるときに、私の声に耳を傾けてください。(1)

 

パウロは「絶えず祈れ」(1テサロニケ5:17)と書いたが、ダビデほど主の御名を呼び求めた人も珍しいかもしれない。

わたしたちは、ともすれば「祈りとは何ぞや」と考えたがるが、そんな暇があるなら主の御名を呼ぼう。

 

主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください。私の心を悪に向けさせず、不法を行う者たちとともに、悪い行いに携わらないようにしてください。私が彼らのごちそうを、食べないようにしてください。(3-4)

 

ダビデは、特に「言葉」について祈った。

彼は言葉の持つ力、その恐ろしさを知っていた。

 

私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。・・・しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています。(ヤコブ3:2・8)

 

またダビデは、「彼らのごちそう」を求めることのないようにとも祈っている。

この世は、さまざまな誘惑でいっぱいだ。

その本質は、聖書のはじめにすでに書いてある。

 

そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。(創世記3:6)

 

「彼らのごちそう」は、おいしそうで、美しくて、賢そうに見える。

 

私の主、神よ、まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けています。私のたましいを危険にさらさないでください。(8)

 

世の誘惑の強さは、わたしたちが自分の力で勝てるようなものではない。

弱き羊として、良き羊飼いなるお方に身を避けるのが、もっとも賢明だ。

 

どうか、彼らが私に仕掛けた罠から、不法を行う者の落とし穴から、私を守ってください。(9)

 

自分で戦おうとせず、主の御名を呼び求め、主に身を避けよう。

そのとき主は、わたしたちをご自身の勝利にあずからせてくださる。

 

私が無事に通り過ぎるとき、悪者が自分の網に陥りますように。(10)

 

 

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