みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

燃える炭火が彼らの上に降りかかりますように

私を取り囲んでいる者たちの頭。これを自らの唇の害悪がおおいますように。燃える炭火が彼らの上に降りかかりますように。彼らが火の中に、深い淵に落とされ、立ち上がれないようにしてください。(詩篇140:9-10)

 

このみことばからも分かるように、140篇は敵に対する神からの報復を強い言葉で願う祈りだ。

このような詩篇は、これまでにも何度も出てきた。

 

ポイントは2つあると思う。

 

  1. 詩人は自分で復讐しようとはしていない
  2. 詩人は心を隠すことなく神に祈っている

 

1.詩人は自分で復讐しようとはしていない

 

彼は自分をののしる者たちに、即座に反応してののしり返したり、攻撃したりはしていない。

やり返したいに違いないのだが、まずはすべてを主の前に持ってきた。

 

私は主に申し上げます。「あなたは私の神。主よ、私の願いの声を聞いてください。」(6)

 

「私は主に申し上げます」と、言えるひとは幸いだ。

そのときはじめて、そのひとの心が守られる道が開けてくる。

 

主よ、悪しき者の手から私を守り、暴虐を行う者からお守りください。彼らは私の足をつまずかせようと企んでいます。(4)

 

このように、彼はまず、敵への報復よりも、自分が守られることを祈っている。

このワンクッションが、すでに彼の守りになっている。

 

 

2.詩人は心を隠すことなく神に祈っている

 

彼は、自分の感情を包み隠さず神の前にさらけ出した。

これも彼の心の大きな守りになる。

もし感情をおおい隠して、クリスチャンらしく祈らねば、きよい祈りをしなければと、思ってもいない“綺麗事”を祈っていたら、心は病むだろう。

 

彼は、激しい感情もそのまま祈りの中に出した。

 

「そしる者が地上で栄えませんように。わざわいがすぐにも、暴虐を行う者を捕らえるようにしてください。」(11)

 

正直に祈ってはじめて、神との親しい交わりが回復され、神がともにおられることを確信するようになる。

 

私は知っています。主が苦しむ者の訴えを支持し、貧しい者のために、さばきを行われることを。(12)

 

かっこつけないで、取り繕うことなく、ありのままを主の前にさらけ出そう。

 

まことに、正しい人はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。(13)

 

 

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