みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

最も深い穴

あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に、深い淵に。(詩篇88:6)

 

88篇は、全編にわたって重苦しく、希望が見えない詩だ。

解説には、こうある。

 

<全詩篇の中で、八八篇は最も深い悩みと悲しみに満ちた詩篇である。キリストの苦難を想起するために、しばしば聖金曜日に読まれて来た>

 

「キリストの苦難」と聞いて、この詩篇の意味がグッと変わる。

 

主よ、私の救いの神よ、昼、私は叫びます。夜もあなたのみそばで。私の祈りを、あなたの御前にささげます。どうか、私の叫びに耳を傾けてください。私のたましいは、苦しみに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。(1-3)

 

キリスト者であるならば、祈りが聞かれる喜びと同時に、祈りが聞かれない苦しみも知っているのではないだろうか。

「なぜ」「いつまで」と、詩篇にもたびたび登場する問いが心で逡巡する。

 

しかし、「私の叫びに耳を傾けてください」といった祈りが、これだけ多く詩篇にあるということは、逆にいえば、主にある敬虔な者たちがかならず通る道とも言える。

そして何より、その祈りそのものが、詩篇の中に収められているのだ。

主は、聞いておられたのだ。

 

私は穴に下る者たちとともに数えられ、力の失せた者のようになっています。・・・あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に、深い淵に。(4・6)

 

まるで神の無い者のように、苦しみ、落胆した姿だ。

 

「最も深い穴」に降りたことがあるだろうか。

一筋の光も差し込まない、生ける世界とは絶縁した真っ暗闇の世界。

もしそんな所に一時でも置かれたなら、発狂してしまうに違いない。

 

聖書はまさに、そんな「最も深い穴」にキリストは降られたと伝えている。

 

「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。(エペソ4:9-10)

 

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(2コリント8:9)

 

詩人は祈りながらも、苦しみを告白する。

 

主よ、なぜ、あなたは私のたましいを退け、私に御顔を隠されるのですか。(14)

 

キリストも叫ばれた。

 

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)

 

キリストが神から捨てられたがゆえに、わたしたちが捨てられることはなくなった。

そのことをあらためて心に刻み、感謝しよう。

 

神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。(2コリント5:21)

 

 

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