みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

この者は、この都で生まれた

主が「この者は、この都で生まれた」と記して、国々の民を登録される。(詩篇87:6)

 

87篇は、異色だ。

そして重要な預言でもある。

 

主の礎は聖なる山にある。主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。神の都よ、あなたについて誉れあることが語られている。(1-3)

 

「聖なる山」「シオン」「神の都」、いずれもエルサレムを指すのだろう。

ヤコブのどの住まいよりも」とは、イスラエルのどの町よりもという意味にとれる。

 

「わたしはラハブとバビロンを、わたしを知る者として記憶しよう。見よ、ペリシテとツロ、クシュもともに。『この者は、この都で生まれた』と。」(4)

 

「ラハブ」とはエジプトを指すようだが(イザヤ30:7参照)、これら5か国は当時の異邦人世界の象徴とのことだ。

つまり主は、異邦人の国々を、神の民として記憶すると言っておられる。

ここに、イスラエル民族だけでなく異邦人にも救いが及ぶという、すばらしい預言が見られる。

 

しかし、シオンについては、こう言われている。「この者もあの者も、この都で生まれた。いと高き方ご自身が、シオンを堅く建てられる」と。(5)

 

イスラエルは、はじめから選ばれた民だ。

その救いが失われることはない。

 

主が「この者は、この都で生まれた」と記して、国々の民を登録される。(6)

 

これもまた異邦人の救いを示している。

主イエスを信じた者は、自分の名が神の都の名簿に登録されていることを確信してよいのだ。

 

ところで、現在の日本にも“無国籍者”と言われる人たちがいるという。

少なく見ても1万人は下らないというのだから、大きな問題だ。

その人たちは、学校にも通えず、健康保険証や身分証明書ももらえない。

当然、社会生活に大変な困難をきたす。

日本に生まれ育ちながら、日本人として認められない、それどころか法的にどこの国の人間でもないという状況は、心情的にどれほど辛いことだろうか。

 

日本政府は、この無国籍者の問題に対し腰が重いという。

一刻も早く適切な法改正がなされるよう祈りたい。

 

神の国の民は、イエス・キリストを信じるだけで、「この者は、この都で生まれた」と登録される。

神の子どもとされ、神の家族の一員となる。

なんと嬉しいことだろう。

 

歌う者も、踊る者も、「私の泉はみな、あなたにあります」と言う。(7)

 

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3:20)

 

 

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