知れ。わたしこそ神。
「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(詩篇46:10)
46篇は、いまの世界的コロナパンデミックの様相を思わせる。
見てみよう。
神は、われらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。たとえ地が変わり、山々が揺れ、海のただ中に移るとも。たとえその水が立ち騒ぎ、泡立っても、その水かさが増し、山々が揺れ動いても。(1-3)
天地がひっくり返るほどの事態の中で、人々は「これはどうなるのか」とおじ惑う。
しかし、まことの神を知る者は、神のみもとに避け所を見出す。
そこはどのような場所だろうか。
川がある。その豊かな流れは、神の都を喜ばせる。いと高き方のおられる、その聖なる所を。神はそのただ中におられ、その都は揺るがない。神は朝明けまでに、これを助けられる。(4-5)
そこは神の祝福あふれる、聖なる場所で、揺るぐことがない。
国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると、地は溶ける。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。(6-7)
神の指ひとつで、地はどうとでもなるのだ。
人間が「神は死んだ」と豪語したところで、その事実は変わらない。
まことの神は、ご自身を信頼する者とともにいてくださる。
来て、見よ。主のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた。主は、地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれる。(8-9)
世界がパニックに陥るとき、戦争どころではなくなる。
そうしてはじめて“平和”が実現するのは、皮肉なことだ。
「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。(10-11)
「わたしこそ神」。
聖書はこのメッセージで満ちている。
人は言う。
「神なんて、想像上のものでしょう。これだけ宗教があり、いろんな価値観があるんだから」
そう言う人も、その価値観を信じている。
はっきりと言えることは、無数の価値観や世界観があっても、“真実は一つだけ”ということだ。
どれかが本当、なのだ。
聖書より古い書物は見つかっていない。
その一行目に、すでにこうある。
はじめに神が天と地を創造された。(創世記1:1)