みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたは変わることがなく

しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。(詩篇102:27)

 

表題には、「苦しむ者の祈り」とある。

そのとおり、前半は苦しく、正直な祈りが綴られる。

 

主よ、私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。私の苦しみのときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、すぐに私に答えてください。(1-2)

 

詩篇がもたらす慰めのひとつは、このように弱く苦しい祈りをささげてもよいのだと教えられることだ。

いつも賛美し、感謝し、喜べるに越したことはない。

しかし、わたしたちは生身の人間だ。

落ち込むこともある。

 

私の心は、青菜のように打たれて、しおれ、パンを食べることさえ忘れました。(4)

 

力は失せ、打ちひしがれている。

そこに孤独も押し寄せる。

 

私は眠ることもできず、屋根の上の、はぐれた鳥のようになりました。(7)

 

詩人は、自分の罪が原因でもあると自覚している。

 

それはあなたが、憤りと激しい怒りのゆえに、私を持ち上げ、私を投げ捨てられたからです。私の日は、伸びていく夕影のようです。私は、青菜のようにしおれています。(10)

 

正直な胸の内を、主に打ち明けること。

その大切さを、詩篇は教えてくれる。

 

自分の現状に向けられていた詩人の目は、主に向けられる。

 

しかし、主よ、あなたはとこしえに御座に着いておられます。(12)

 

いつでもそうだ。

そこから回復が始まる。

 

あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来ました。(13)

 

主はあわれんでくださる、顧みてくださる。

その確信が増していく。

 

なぜなら、主はシオンを立て直し、その栄光のうちに現れ、窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされないからです。(16-17)

 

最終的に、彼はとこしえの主をほめたたえる。

 

「あなたは、はるか昔に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。しかしあなたは、とこしえの方です。すべてのものは、衣のようにすり切れます。・・・しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」(25-27)

 

この箇所は『へブル人への手紙』1章にも引用されている。

天も含めすべてのものは変わりゆくが、主はとこしえに変わらない。

三千年も昔に、すでにこの啓示が与えられていることに驚く。

 

いずれ神の子らは、永遠の住まいを得る。

 

「あなたのしもべたちの子らは、住まいを定め、彼らの裔は、御前に堅く立てられます。」(28)

 

結局、詩人が語ったことは、ローマ書におけるパウロの証しと同じ意味である。

ハレルヤ。

 

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。(ローマ8:18)

 

 

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