主はシオンを選び
主はシオンを選び、それをご自分の住まいとして望まれた。(詩篇132:13)
これも「都上りの歌」とある。
シオンの神殿に思いを馳せる歌だ。
主よ、ダビデのために、彼のすべての苦しみを思い出してください。彼は主に誓い、ヤコブの力強き方に誓いを立てました。(1-2)
“ダビデの誓い”は、主の家を建てることだった。
「私は決して、私の家の天幕に入りません。私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみさえ。主のために、一つの場所を、ヤコブの力強き方のために、御住まいを、私が見出すまでは。」(3-5)
このダビデの意志を受け継ぐかたちで、実際には息子のソロモンが神殿を完成させた。
これに対し、今度は“主の誓い”が語られる。
主はダビデに誓われた。それは、主が取り消すことのない真実。「あなたの身から出る子を、あなたの位に就かせる。もし、あなたの子らが、わたしの契約と、わたしが教えるさとしを守るなら、彼らの子らも、とこしえにあなたの位に就く。」(11-12)
残念ながら、歴史は、この約束の悪い面が成就した、すなわち彼らの不信仰のゆえにシオンが損なわれたことを証明した。
それでも主がシオンを選ばれたことに変わりはない。
主はシオンを選び、それをご自分の住まいとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。」(13-14)
まさしくパウロが言ったように、「神の賜物と召命は、取り消されることがない」(ローマ11:29)のだ。
17~18節は、メシア預言になっている。
「そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者のために、ともしびを整える。わたしは彼の敵に恥をまとわせる。しかし、彼の上には王冠が光り輝く。」(17-18)
「一つの角」とは、言うまでもなくキリストだ。
彼は敵に打ち勝ち、光り輝く王冠をかぶられる。
当時のイスラエル民族は、エルサレムの神殿を目指しながらこのような詩篇を歌い、次第に敬虔な思いを高めたことだろう。
さて、ここでパウロの言葉に目を留めたい。
あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。(1コリント3:16)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい。(1コリント6:19-20)
この驚くべき啓示を心において、最後にもう一度14節を読んでみよう。
「これはとこしえに、わたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。」(14)