兄弟たちが一つになって
見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。それは、頭に注がれた貴い油のようだ。それは、ひげに、アロンのひげに流れて、衣の端にまで流れ滴る。それはまた、ヘルモンから、シオンの山々に降りる露のようだ。主がそこに、とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(詩篇133:1-3)
これも3節と短いが、印象的な詩篇のひとつだ。
麗しい兄弟愛の姿が、詩的に描かれている。
特に1節は、詩人の思いというだけでなく、主ご自身の思いだろう。
「兄弟たちが一つになって、ともに生きること」を、イエスさまはどれほど望んでおられることか。
そのためにこそ、人間を創造されたのだから。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)
わたしも、兄弟たちが主にあって心一つにある素晴らしさを経験した。
そして、それが損なわれる苦しさも経験した。
考えてみれば、イエスさまとともに三年間も過ごした弟子たちですら、最後まで争い合っていた。
人より抜きん出たい、人の上に立ちたい、人から称賛されたい、人を支配したい・・・。
このような悪魔的な欲望は、だれの心にもあり、それが一致を破壊する。
そもそも人類最初の子どもは、兄弟を殺した殺人者だ。
わたしたちは、その子孫である。
「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)
主よ、わたしを御霊によって新しくしてください。
シオンの山に降りる露のように、あなたの愛でわたしを潤し、あふれ出るようにしてください。
わたしが偉くなるためではなく、あなたに喜ばれるために、そうしてください。
アーメン。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」(マタイ20:26-27)