私はいつも、主を前に
私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。(詩篇16:8)
先日から述べているように、ダビデの生涯は、けっして幸福とはいえないものだった。
彼は常に戦いの中にあり、多くの時を敵に追われて過ごした。
しかし、同時に彼は、偉大な幸福家でもあった。
その“幸せの秘訣”が、この詩篇16篇にある。
「ダビデさん、あなたは大変な状況にありながら心に喜びを失っておられませんが、その秘訣は何ですか?」と問われたら、彼は次の箇所を指し示すのではないだろうか。
私は主に申し上げます。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」(2)
心からこのように告白できる人は、強い。
主は私への割り当て分、また杯。あなたは、私の受ける分を堅く保たれます。割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい、私へのゆずりの地です。(5-6)
ダビデは主こそが自分に与えられた、何にも代えがたい財産であることを知っていた。
ダビデから千年後の時代に生きたパウロも、同じ告白をしている。
しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。(ピリピ3:7-8)
パウロから二千年後のわたしたちも、同じように言えたら幸いだ。
私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。(8)
ダビデは、「いつも、主を前にして」、何でも打ち明け、相談した。
そして、「主が私の右におられる」と確信して、前進した。
それゆえ、私の心は喜び、私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。(9)
これは幸福の秘訣であると同時に、真の“健康法”でもある。
わたしたちと共に歩み、支えてくださり、守ってくださる主をほめたたえよう。
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみが、あなたの右にとこしえにあります。(11)