心の中の真実を語る人
主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。全き者として歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。(詩篇15:1-2)
15篇でダビデは、「聖なる山に住む」人とはどういう人か、について語っている。
2節の「心の中の真実を語る」とは、どういう意味だろうか?
心の中にあることをそのまま語る、という意味ではなさそうだ。
それなら、「心の中を真実に語る」となるはずだ。
しかも、3節には次のようにある。
舌をもって中傷せず、友人に悪を行わず、隣人へのそしりを口にしない人。(3)
心の中をそのまま出す人は、中傷したり、人をそしることも口にするだろう。
往々にしてわたしたちは、「ほんとうに思ってることだから」という理由でそれらを口にすることがある。
それは嘘ではないかもしれないが、“真実な人”のすることとは言えない。
他の訳を見てみよう。
- (新共同訳)心には真実の言葉があり
- (口語訳)心から真実を語る者
- (リビングバイブル)誠実そのものの人
リビングバイブルの訳が、いちばん分かりやすいように思う。
要するに、誠実で真実な人が、それにふさわしく語るということだ。
主の前に真実に歩んでいる人の言葉は、わずかであっても力がある。
イエスさまは、こう言われた。
「まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです」(マタイ12:34)
「まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる」(マタイ23:26)
主よ。わたしの内側をきよめ、わたしの言葉をきよめてください。
人をそしる、傲慢の舌を断ち切ってください。
温かな、きよい言葉を、真実に語る者としてください。
このように行う人は、決して揺るがされない。(5)