みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

彼らをきよめよ

「レビ人をイスラエルの子らの中から取って、彼らをきよめよ。」(民数記8:6)

 

6章では、「主の奉仕」にあたるレビ人のきよめについて語られている。

 

「アロンはレビ人を、イスラエルの子らからの奉献物として主の前に献げる。これは彼らが主の奉仕をするためである。」(11)

 

きよめられるために、次のことが行われた。

 

  1. 罪のきよめの水をかける(7)
  2. 全身にかみそりを当てる(7)
  3. 衣服を洗い、身をきよめる(7)
  4. 若い雄牛と油を混ぜた小麦粉の穀物のささげ物を献げる(8)
  5. 若い雄牛を罪のきよめのささげ物とする(8)

 

「この後、レビ人は会見の天幕に入って奉仕をすることができる。あなたは彼らをきよめ、彼らを奉献物として献げなければならない。」(15)

 

レビ人は身の汚れを除き、その衣服を洗った。そうしてアロンは彼らを奉献物として主の前に献げた。またアロンは彼らのために宥めを行い、彼らをきよめた。この後、レビ人は会見の天幕に入って、アロンとその子らの前で自分たちの奉仕をした。(21-22)

 

きよめられるとは、心身を整えられることだ。

1.~5.を行う中で、レビ人は心身ともに整えられていったことだろう。

 

身も心も乱れていては、「主の奉仕」はできない。

それらが主の前にふさわしく整えられ、きよめられてこそ、奉仕ができる。

 

そして、このことは今日においても変わらない。

かつて師から聞いた言葉を思い出す。

 

「悔い改めていなければ、聖書から語ることが無くなる」

 

レビ人のように、主の前に常に整えられる必要がある。

 

こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師、また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。(エペソ4:11-12)

 

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