神の名を汚してはならない
「彼らは自分の神に対して聖でなければならない。また自分の神の名を汚してはならない。彼らは、主への食物のささげ物、すなわち彼らの神のパンを献げるからである。彼らは聖でなければならない。」(レビ記21:6)
こうして『レビ記』を読んでくると、単に規定が記されているのではなく、徹底して「聖」が重んじられていることに気づく。
21章は、祭司及び大祭司に関する言葉だ。
1~9節は、「アロンの子である祭司たち」がその対象だ。
「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。親族のうちの死人によって自分の身を汚してはならない。ただし近親の者、すなわち、母や父、息子や娘、兄弟の場合は例外である。また近親の、結婚したことがない処女である姉妹の場合は、彼女によって自分の身を汚してもよい。」(1-3)
「死人によって身を汚す」とは、葬儀に参列するということか。
ごく近い肉親の葬儀には参列できた。
「彼らは淫行で汚れている女を妻としてはならない。また夫から離縁された女を妻としてはならない。祭司は神に対して聖だからである。」(7)
結婚についても、厳密さが求められている。
大祭司は、さらに厳しくなる。
「兄弟たちのうち大祭司で、頭に注ぎの油が注がれ、任職されて装束を着けている者は、その髪の毛を乱したり、その装束を引き裂いたりしてはならない。いかなる死人のところにも入って行ってはならない。自分の父のためにも母のためにも自分の身を汚してはならない。」(10-11)
両親の葬儀にも行くことはできなかった。
悲嘆の情を表現することすら、許されていない。
16節以降では、「身に欠陥のある者」についての規定だ。
「あなたの代々の子孫のうち、身に欠陥のある者はだれも、神のパンを献げるために近づいてはならない。だれでも、身に欠陥のある者は近づいてはならない。目の見えない者、足の萎えた者、あるいは手足が短すぎたり長すぎたりしている者、足や手の折れた者、背の曲がった者、背のきわめて低い者、目に濁りのある者、湿疹のある者、かさぶたのある者、睾丸のつぶれた者などである。」(17-20)
現代では物議をかもしそうな箇所である。
わたしたちは、神はすべての人を愛しておられること、イエスさまはこのような人たちをあわれみ癒されたことを知っている。
祭司は、聖なる神に仕える者として、聖くあることを自覚する必要があった。
わたしたちもまた、そうでありたい。
主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはいけません。(ローマ13:14)