サレムの王メルキゼデク
また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。(創世記14:18)
アダムを初代とすると、ノアは10代目となる。(5章参照)
その頃には地上に悪が増大したため、神はノアの家族以外の人類を一掃された。
次に、ノアを初代とすると、アブラムは11代目となる。(11章参照)
今度は、より具体的な“戦争”の記録が登場する。
さて、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代のことである。これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラすなわちツォアルの王と戦った。(1-2)
言うまでもなく、これらの王たち及びその民は、ノアの家族から分かれ出たという意味で同胞だ。
しかし、互いに侵略し合い、殺害し合う。
愚かなことだが、数千年を経たいまも、人類は同じことをしている。
かつてよく潤った低地を選んだロトも、この争いに巻き込まれる。
また彼らは、アブラムの甥のロトとその財産も奪って行った。ロトはソドムに住んでいた。(12)
一人の逃亡者がアブラムにそのことを告げると、アブラムはさっそく救出に向かう。
アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。(14)
信仰の父と呼ばれるアブラムですら、いわゆる“自衛力”を備えておかねばならなかった。
いまも昔も、人の世には危険がつきまとう。
奪われた財産やロトの一族を見事に取り戻したアブラムを、ソドムの王が迎える。
彼は、こう言っている。
ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」(21)
よほどありがたかったのか、それともほかに算段があったのか、ソドムという悪名高い国の王が、このような態度を取っているのは意外だ。
ソドムの王のほかに、もう一人、迎えに出てアブラムを祝福したのが、なぞの人物メルキゼデクだ。
また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。(18-20)
「祭司」という言葉は、ここで初めて聖書に登場する。
このメルキゼデクは、『ヘブル人への手紙』においてキリストの予表とされる重要な人物だ。
「パンとぶどう酒」という、いまわたしたちが聖餐式で口にするものを持っているのが、とても興味深い。
聖書は、ほんとうに不思議な書物だ。
もしメルキゼデクと同じような、別の祭司が立つなら、以上のことはますます明らかになります。その祭司は、肉についての戒めである律法によらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。この方について、こう証しされています。「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」(ヘブル7:15-17)