みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あなたが左なら、私は右に

「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」(創世記13:9)

 

アブラムは飢饉を避けてエジプトに行き、そこでも主の祝福により富む者となった。(12章10・16節)

再びネゲブに上ったとき、一緒にいたロトの一族との間にひと悶着起きた。

 

その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。(6-7)

 

「おい、お前んとこの家畜は、もうちょっと向こうのほうで草を食べさせろよ」、「そっちこそ、向こうに行けよ」と、そんな感じだったと思われる。

 

アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。」(8)

 

そして、冒頭のように、アブラムはロトに土地を選ばせる。

これは驚くべき態度だ。

 

ロトはアブラムの甥っ子で、早くに父(アブラムの弟)を亡くした。

子どものいなかったアブラム夫婦は、まさにわが子同然のように面倒を見てきた。

当然アブラムはロトに対して命令する権利を持っていたのだが、そうしていない。

 

ここには、アブラムの謙遜と同時に、主に対する篤い信仰が見られると思う。

 

見知らぬ地に行けと示されて出て来た。

主は常に共にいてくださり、祝福してくださった。

だから、これからも、どこに行こうと、主は共におられ祝福してくださる、と。

 

ロトは、「よく潤っていた」低地を選んだ。(10-11)

あれだけ緑があれば家畜も大丈夫と、考えたのだろう。

しかし、その後、恐ろしい災難に巻き込まれることになる。

 

最も重要なことは、どこに行くかではなく、主を信頼して進むことだと、アブラムの態度から教えられる。

 

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。(箴言3:5-6)

 

 

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