みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

これは私の妹です

アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。(創世記20:2)

 

ソドムとゴモラのさばきの後、アブラハムは「ネゲブの地方」に移り住んだ。

そこで、またしても妻のことを妹と偽り、サラは王に召し入れられることになる。

かつてエジプトに下ったときに犯した失敗(12章)を、再びくり返したわけだ。

 

ふつう歴史書においては、著者は、主要人物がいかに偉大であるかを中心に書き残す。

“歴史は勝者がつくる”と言われるのも、そのためだ。

 

ところが創世記の著者とされるモーセは、ノアにしても、アブラハムにしても、本人たちからすればできれば黙っておいてほしい出来事を赤裸々に書いている。

ここが聖書のすごいところだ。

 

この20章から、いくつかのことがわかる。

 

  1. 神は夢をとおして語られることがある
  2. アブラハムほどの信仰の人でも同じ失敗をくり返すことがある
  3. それでも神はアブラハムの祈りに答えられる

 

神は夢の中で彼に仰せられた。「・・・今、あの人の妻をあの人に返しなさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれるだろう。そしていのちを得なさい。しかし、返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」(6-7)

 

エスさまは、「わたしの名によって求めるなら」と言われた。

わたしたちも失敗を犯す者ではあるが、日々悔い改めつつ、キリストの名に信頼して祈ろう。

 

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」(ヨハネ14:13-14)

 

 

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