エノクは神とともに歩んだ
エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。(創世記5:24)
5章は、アダムからノアまで十世代の記録だ。
ここには次の共通点がある。
- 長命である(9百歳以上生きた者が7名)
- 多産である
アダムが生きた全生涯は九百三十年であった。こうして彼は死んだ。(5)
セツの全生涯は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。(8)
アダムは930歳、セツは912歳、エノシュは905歳・・・と、9百年前後がふつうの寿命となっている。
地球環境がよほど良かったのだろうか?
いまの日本人の寿命が、ちょうどその十分の一くらいだ。
したがって、当時300歳の人は、いまで云えば30歳くらいの感覚になる。
「おお、あなたは315歳ですか、働き盛りで羨ましいですのぉ」などと言われていたかもしれない。
実際、働き盛りだったろう。
子どももたくさん生まれたから、ものすごい勢いで社会が形成されたことになる。
これとは対照的に、11章では、セム(ノアの息子)からテラ(アブラハムの父)までの9人について記述されている。
そこでは急激な勢いで寿命が短くなっており、2百歳前後となった。
アブラハムに至っては、主から子どもを授かる約束を与えられても、「百歳の者に子が生まれるだろうか。」(創世記17:17)と笑っている。
寿命だけを見ても、あきらかに5章と11章の間に“大きな変化”があったことがうかがえる。
言うまでもなく、「ノアの洪水」がそれだ。
さて、先の十世代のうち、特筆すべきは7代目のエノクだ。
彼だけ年齢も、記述も、まったく異なっている。
エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。エノクの全生涯は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。(21-24)
なぜ彼だけ短命だったのか。
「取られた」「いなくなった」とは、どういうことなのか。
不思議だらけだ。
その答えは、天国に行ってからのお楽しみだ。
ともかく、5章から学べるのは次のことだ。
すなわち、人にとって大切なことは、何年生きるかではなく、短命であったとしても「神とともに歩む」ことである、と。
わたしたちがこの5章に記述されるとしたら、次のどちらがいいだろうか?
自分の名を入れてみて欲しい。
- 〇〇の全生涯は110年であった。こうして彼(彼女)は死んだ。
- 〇〇は神とともに歩んだ。
エノクはどんな人で、どんなふうに暮らしたのだろう。
それを思いつつ、エノクに倣おう。
信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。(ヘブル11:5)