ヨセフをイシュマエル人に売ろう
すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。(創世記37:26-27)
37章は「ヤコブの歴史」(2)とあるが、実際にはここから始まる「ヨセフ物語」の序章である。
それにしても、よくこれだけ次々に見応えのある話が出てくるものだ。
あらためて、創世記のおもしろさに感動する。
ヨセフは、十人の兄たちから疎んじられていた。
第一に、彼は父のお気に入りで、「あや織りの長服」を作ってもらうなど特別扱いされていた。(3)
第二に、彼はいい加減な仕事をする兄たちのことを、父に告げ口した。(2)
さらには、やめとけばいいのに、とんでもない夢の話を二回もした。
最初は、畑で兄たちの束が自分の束を伏し拝んだ夢。(7)
二回目は、太陽と月と十一の星が自分を伏し拝んだ夢だ。(9)
さすがに二つ目は両親も指すため、ヤコブは叱った。(10)
しかし同時に、次のようにも記されている。
兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。(11)
ヤコブは、(これは神からの何かの啓示かもしれない)と直感的に思った。
彼自身がかつて、夢の中で天からのはしごを上り下りする御使いを見て、神の啓示を受けたことがあったからだ。(創世記28:12)
あるとき、遠いシェケムの地(兄弟たちが妹のことで男たちを皆殺しにした町)で牧羊する兄たちの様子を見に、ヨセフが遣わされた。
ヤコブは、これがヨセフとの長い別れになるとは思ってもいなかった。
兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。(18)
長男ルベンがさすがに制止して、とりあえず穴に投げ込ませた。
そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に打った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。(28)
いくらなんでもひどすぎる扱いだ。
ヨセフはどんな気持ちだったのだろうか。
まさかほんとうに売り飛ばされるとは思っていなかったろう。
涙の向こうに、父の顔が浮かんだに違いない。
次に兄弟たちとヨセフが再会するまで、実に二十年以上の歳月を要する。
そのとき、エジプトの宰相となっていたヨセフは兄弟たちを責めず、次のように語る。
「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。・・・ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。」(創世記45:5・8)
創世記を読みながら驚嘆するのは、神は人の醜い部分をもご自身の計画に用いることがおできになる、ということだ。
神を賛美するばかりである。
ああ、神の知恵と知識との富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。(ローマ11:33)