みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

エドムの歴史

これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。(創世記36:1)

 

この章は、ひたすら人の名前が連なる章で、退屈と言えば退屈だ。

とはいえ、きっと大きな意味を持つ箇所には違いない。

それがなかなか分かりにくいだけだ。

 

パウロは手紙で、からだのなかで弱いと思われる器官こそなくてはならないと書いた。

同じように聖書でも、これは必要なのかとか、ここは飛ばし読みでもいいと思いがちな箇所ほど、実は重要だったりする。

 

36章には、ヤコブの兄エサウ系図が出てくる。

「セイルの山地にいたエドム人の先祖エサウ」(9)と記してある。

彼はヤコブとは別にセイルの山地に住み、そこで大いに富んだ。

 

一緒に住むには所有する者が多すぎて、彼らの群れのために寄留していた地は、彼らを支えることができなかったのである。(7)

 

これはリベカに与えられた主の約束の成就といえる。

 

すると主は彼女に言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)

 

弟の国ほど強くはないが、兄の子孫も一つの国となるくらい大きくなる、と言われていた。

神はご自身が発したみことばを、かならず成就される。

 

この章には何人の名前があるのか数えていないが、「エドムの地」を昔治めていた者たちも列挙してあるのがおもしろい。

 

イスラエルの子らを王が治める以前、エドムの地で王として治めた者は次のとおりである。ベオルの子ベラはエドムで治めた。彼の町の名はディンハバであった。ベラが死ぬと、ボツラ出身のゼラフの子ヨバブが代わりに王となった。ヨバブが死ぬと、テマン人の地から出たフシャムが代わりに王となった。フシャムが死ぬと・・・(31-35)

 

といった調子で、何代にもわたる王の名が記されている。

これらを見て思うのは、その一人ひとりの詳細を歴史家は知ることがないが、神はよくご存知であるということだ。

それどころか、これまで地球上に生まれたすべての人をご存知なのだ。

 

系図も、名前も、性格も、母の胎にあるときから息を引き取る日までのすべての日を、神はご存知である。

このような神の全知全能を、われわれ人間は想像すらできない。

 

「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ49:16)

 

 

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