みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

立って、ベテルに上り、そこに住みなさい

神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記35:1)

 

ディナの事件のあと、神はヤコブにベテルに移るよう言われた。

 

それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。」(2)

 

ヤコブの一族でも「異国の神々」の品々を持っていたのは意外だが、分捕り物として奪い取った物も多かっただろう。

それらを拝んではいなかったかもしれないが、信仰の足もとをすくわれる危険はあった。

新たな出発にあたって、ヤコブは神に対する一族の態度をはっきりさせたわけだ。

 

この章では、ヤコブに縁の深い三人の死が記されている。

 

一人目は、母リベカの乳母デボラだ。

 

リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それで、その木の名はアロン・バクテと呼ばれた。(8)

 

デボラについては、リベカがイサクに嫁ぐ際にいっしょに来たと24章にある。(24:59)

何らかの事情で、このときはヤコブのもとにいた。

したがって、ずいぶん長い期間に渡って、この家族に仕えたことになる。

おそらくは、“みんなのお母さん”的な存在だったのだろう。

埋葬された木を「アロン・バクテ(嘆きの樫の木)」と呼んだことからも、彼らがいかに彼女の死を悼んだかが伝わってくる。

 

二人目は、妻ラケルだ。

 

彼女が大変な難産で苦しんでいたとき、助産婦は彼女に、「恐れることはありません。今度も男のお子さんです」と告げた。彼女が死に臨み、たましいが離れ去ろうとしたとき、その子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道で葬られた。(17-18)

 

最愛の妻を難産の末に失ったことは、ヤコブにとって大きな悲しみだったろう。

 

三人目は、父イサクだ。

 

イサクの生涯は百八十年であった。イサクは年老いて満ち足り、息絶えて死に、自分の民に加えられた。息子のエサウヤコブが彼を葬った。(29)

 

エサウヤコブによって葬られたのは、イサクにとって幸せなことだった。

 

聖書を読んで気づかされるのは、「死」や「死者」について、さらりと書いていることだ。

ふつう小説などでは劇的に描かれるものだが、聖書はそうしない。

「死」や「死者」をことさらに美化したり、崇めることはない。

かと言って、軽く扱うわけでもない。

そのあたりのバランスが絶妙だと、つくづく思う。

 

神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。(ヘブル13:5新改訳第三版)

 

 

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